「和田竜二騎手が、オペラオーに泣いて土下座してたってマジ?」に対するみんなの反応【ウマ娘 まとめ】ウマ娘プリティーダービー 反応集 テイエムオペラオー メイショウドトウ
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トレーナーのみなさんの反応
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やっぱオペラオー一番好き
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和田がオペラオーの死後に倒れた場所を暫く撫でてたって話を見た時は
じわっと涙が出てきたな
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だってオペラオーから乗り換えさせられるかも知れなかったところだったしね。
それはそれとして、オペラオー引退後「G1獲るまで会わない」なんて決めてたせいで死ぬまで会えなかったんだよね………お気に入りのリュックくんが最後まで会いに来てくれなくて寂しかったと思うし。
まあそれでもやっぱり和田竜二騎手の脳を1番焼いた馬はオペラオーだよね。
で、3年くらい前に過去に企画でオペラオーの鬣を貰ったファンが和田竜二騎手に連絡を取って大事に取っておいたその鬣を譲ったって言うエモい話が出てきましてね………本当にそのファンの度量も凄いけど、その鬣を貰った和田竜二騎手の気持ちを考えると心が暖かくなりました。
人って、世界ってこんなにも優しさに溢れてたんだなって。
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劇場版では小石だったが、落鉄した蹄鉄が直撃していた、実際メンタルブレイクしてもおかしくなかったのに、オペラオーは覇王であり続けたという…単純な競争能力ではないな、オペラオーの強さはそのメンタルにもある。
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オペラオーが虹の橋を渡った時、スタッフさんは空に大きな虹を見た。
という噂にみせかけた真実
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和田ジョッキーのオペラオー愛はみゆピーより重い
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オペラオーさんただでさえ強いのになんで追い詰められるほど更に強くなるんですか…?(恐怖)
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最強も最高も異論があるかも知れんが、唯一無二と言われたら同意しない人はいないんじゃないかな?ついでにドトウも。
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万全のサポート体制だったとはなかなかに言い難い状況だったかもしれないが、それでも昭和親父達の熱い情熱と無限の愛と騎手からは絶対の信頼を受けド根性で世紀末を駆け抜けた日本競馬界屈指の名馬だね
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和田さんの甥の和田翼には彼にとってのオペラオーは現れなかったね。
オペラオークラスの名馬に出会う確率と(悲喜交々あれど)乗り続けられた幸運。
歴史に残る名馬に出会えなかった騎手の方が多いだろうに、これを騎手3年目で掴みとったって…。
マジで騎手人生の運をオペラオーとの出会いに全振りしたと言われても納得してしまうわ
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未だにウマ娘オペラオーがdragon ashのlilyをカバーしてくれんかなってずっと思ってる。
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ビックリして顔ぶつけたのをかっこよく脚色したと思ってたらガチで飛んできてたのか
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勝つまでは引退したオペラオーに逢わないって願かけてたらオペに再会叶わず召されちゃって勝利後インタビューでオペラオーが背中を押してくれた気がしたとか、
その後の墓参りにも万感の思いで勝利報告したり最後の最後まで重いんだもん…なおドットさんには嫌われて頭突きリスペクトされた模様
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ダービーも先行せずに差し勝負だったらどうだったんだろ?皐月賞は見事に追い込みがハマったんだから、岩元先生が縛りを掛けなかったら或いは………
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オペトレに 和田ソウル入れると、ワンチャン ルビトレになるのだろうか…… ?
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強い馬で嫌いではなかったが、馬券が・・・くそだった。
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8:07 闘魂注入は、リュージの得意技だから大丈夫
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19:02 後はアドマイヤベガの様な末脚を持った子が居なかったってのもあるのかも?
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焼き土下座のあるカイジ12巻の発売日が1999年9月3日。和田騎手が菊花賞の後で泣き土下座したのは1999年10月31日。テイエムオペラオーがカイジを読んでた可能性が微レ存………?
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馬も騎手も虐められすぎだったよな
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3年目の新人騎手が巡り合うには予想を遥かに超える巨星だったから周りから見ても辛い立場だったんだろうなぁと
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菊花賞での土下座を見たオペラオーの、もうリュージにあんなことさせたくないって思いが翌年有馬の大激走につながったと妄想したらいろいろ捗る


